2018年、大阪地方検察庁の検事正であった被告人が、入居していた官舎で酒に酔った女性の検事に性的暴行を加えたとされている準強制性交事件について、大きな動きがあり、報道が続いています。

事件そのものについては特にコメントしませんが、常々このブログで書いている、報道の質の低下について感じることが多いため、それについてコメントしたいと思います。

サンデーモーニングを見ていたところ、この準強制性交事件において被告人が自白から否認に転じた件が取り上げられており、女性のコメンテーター(少し調べてもゲストコメンテーターの一覧が見つからなかったので名前などは分かりません)が、被告人のそのような態度は言語道断というようなこと(正確には記憶していないので、このような雰囲気の内容という程度にとらえてください)を話していました。

いや、ちょっと待ってください。あなたは被告人が有罪であることを前提に話していませんか、と聞きたいです。このような報道番組に出演しているコメンテーターは、刑事裁判の話になると、だいたい「推定無罪」を取り上げています。犯罪の成立を判断するのは裁判所であり、その判断が出るまで、被告人には無罪が推定されるという原則です。そのため、コメンテーターの方々は、被告人となっている元検事正は、準強制性交事件を起こしていないという前提で話をしなければならないはずです。しかし、自白から否認に転じるのはケシカラン、と言うのは、自己矛盾を起こしているのではないでしょうか。

刑事裁判の報道に関わるのであれば、自白から否認に転じたのであれば、事実関係の認定を慎重に行っていく必要がありますね、ということや、否認に転じた理由や、法的主張の説得力を批評するくらいしか行ってはならないはずです。確かに日本の刑事裁判の有罪率は驚異的ですが、それは無罪推定を無視してもいいという事情ではありません。

これが冤罪事件だとすると、手のひらをひっくり返して、推定無罪なのだから自白から否認に転じたのは当然のことですね、などと言い始めるのでしょう。

以前から何度も繰り返していますが、テレビの報道番組に出てくるコメンテーターの質は、本当に低いと思います。話を聞いていると、自己矛盾していたり、大衆迎合的になっていたりするなどして、どこかで理論が破綻しているように感じることが多くあります。すべての視聴者が、コメンテーターの発言を批判的に受け止めて、自分自身で受け取るべき情報を取捨選択しているのであれば問題ないのですが、そうではなく、発言を正しいものと受け止めるばかりだとすれば、日本の将来は暗いとしか言えません。

被害を訴えている検事の発言にも驚きました。

被告が主張を二転三転させ、無罪を争うことが、私だけでなく、今まさに性犯罪被害で苦しんでいる方々を、どれほどの恐怖や絶望に陥らせているか、今後多くの性犯罪者に“同意があったと思っていた”と主張させ性犯罪の撲滅を阻害し、むしろ助長させることになるかを知ってもらいたい

まるで、主張を二転三転させることが悪いことであるかのように言っています。先述のとおり、推定無罪の原則があるので、無罪を争うことを批判してはならないはずです。主張を二転三転させること、そのことを批判するのであれば分かりますが、裁判は当事者の主張を自由に戦わせるものなので、主張が変わることを批判したり、不法行為として構成したりするようなことは、表現の自由や裁判を受ける権利を制約するものになりかねず、正しいとは思えません。それによって性犯罪の被害者が悲しい思いをするのだと言われても、私個人としては、それは裁判を受ける権利によって当然に生じる負担であり、被害者が耐えなければならないことだと思いますので、辛いでしょうが耐えてくださいと言うほかにないと思います。

そもそも、裁判は、事実に法律を適用する手続です。事実は、事件と無関係な第三者である裁判官が判断するので、たとえ特定の事実が当事者に辛い思いを与えるものであるとしても、それを裁判に顕出させなければ、裁判官が判断をすることができません。顕出させる方法については、工夫の仕方があるとは思いますが、刑事裁判は公開の法廷で行わなければならないと憲法で定められていますので、どうしても限界があります。

また、被害を訴えている検事の発言は、被告人が有罪であることを前提とした内容になっています。当事者なので、相手方が犯人であることは分かっていることであり、そのため、そのような発言になっているのだと思いますが、その認識は当事者以外の第三者に当然のことではありません。そのような意見は自分の中に留めておき、裁判が終わった後に発言すべきことです。被告人が有罪であることを前提とした話を、テレビで放映されるであろうインタビューにおいて発言するというのは、法曹の一員として、原理原則を分かっているのかと疑問に思います。

おそらく、検察官は「推定無罪」という原則を実践しておらず、「推定有罪」としているので、そのような発言になっているのだと思われます。検察庁内部では問題ない発言だとしても、外部に向かった発信において、推定無罪を無視した発言をするというのは問題があると考えます。

それはそれとして、お互いに手の内を知り尽くしている検察官と検察官の刑事裁判における戦いというのは、とても興味をそそられますね。元検事正の弁護人は、仕事を進めやすいのか、それともやりにくいと感じているのか、それも気になります。