以前から繰り返し書いていることですが、テレビの偏向報道が目に余るようになっています。全幅の信頼をおいて聞くことができるのは、天気予報くらいではないでしょうか。
朝の時間帯は羽鳥慎一モーニングショーを流しているのですが、このところ、玉川徹さんの劣化が激しすぎて、聞いていられません。色々な事柄に、自分の考えを直接的に主張しているだけです。対象となっている話題の社会的意義について、あらゆる面から理解することを怠っているように思われます。これは自分の感覚的な意見になりますが、一般視聴者の集合的な観念に迎合するように発言しているように感じられます。以前は、話題となっている事柄について取材を行い、机上の議論だけでは分からない現場の雰囲気を掴み、それを根拠とする主張をしているような様子であり、そこに信頼を感じていたのですが、最近の様子を見ると、取材というものを怠っているように感じられます。以前、誤認した事実に基づいた発言をして、一時的にレギュラーコメンテーターから外されて、しばらくすると復帰したという出来事があったのですが、そのとき、今後は現場の取材を大切にして頑張っていきます、というような発言をしていたような記憶があります。仮に言っていなかったとしても、テレビに出ているコメンテーターとしては当然持つべき姿勢だとは思いますが…。いま、そのときの決意を大切にしているのですか、と聞きたいです。
これだけ色々と書いたのは、今日はマイナ保険証への移行に関する話題を扱っており、マイナンバーと個人情報の紐付けシステムの開発費用について「全くの無駄」と断じていたことがあったためです。本日のゲストコメンテーターである、弁護士の結城東輝さんが、そのように断言することができるかは精査しなければ分からない、とフォローしていましたが、それにも噛み付いていたように感じました。結城さんの意見は、エンジニアの目から見れば当たり前の話だと思われます。
関わったことのない人は、特定のコンピューターシステムについて、機能の追加や仕様の変更など簡単にできるのではないか、と思っているのかもしれませんが、とんでもない! 現代のシステム開発は、決められた仕様のとおりに作成するから完成するのであって、途中で機能追加や仕様変更が行われると、場合によっては、根幹から作り直しになることもあります。システムの設計は、建築物の設計と同じです。作り上げるものに応じた基礎を作らなければなりませんし、工法を選ぶ必要もあります。後から「あれも追加して」と言われると、現在の基礎ではシステム全体を支えきれない可能性もあります。予想されるトラフィックの量からネットワークの構成を選ばなければなりませんし、それによって予算も変わってくる。基盤技術に応じて、開発体制を変える必要もあります。セキュリティを考えると、認証のフローを考えて、必要な処理を配置して、データや処理の流れを整える必要があります。ここを怠ると、セキュリティが甘くなり、クラッカーが簡単に情報を盗み出せるようになってしまいます。最近は様々な技術が現れてきており、かなり柔軟に作りやすくなってきてはいますが、まだまだ深い専門知識が必要な、職人芸の求められる世界です。
そもそも、政治的決定に「全くの無駄」とされることは、無いと思われます。それは見方によって変わるのであり、先日に記事を紹介したとおり、マイナ保険証への移行の背景には、膨大な手作業をコンピューター処理に置き換えてミスを減らそうという事情があります。個人的には、事務処理を人の手でやることほど無駄なことはないと思っていますので、システム開発費用を「全くの無駄」と断じることには強い抵抗感があります。正確には、後々にマイナンバーの個人情報への紐付けを解除するシステム改修を行っているため、最初の設計には無駄があるという話だったかと記憶していますが、少なくともシステム開発を決めたときは紐付けの解除を想定しないものであり、これはセキュリティを確保した堅牢なシステムにするための仕様であったと推測されます。紐付けの解除ができるということは、外部からのアタックが可能になるということですから、健康保険制度という高度な安全性が求められるシステムにおいては、そのような選択肢も十分にアリだと思われます。
マイナ保険証に関するテレビの議論を見ていると、「トラブルが出ているから使いたくない」「マイナンバーカードの更新が大変だから使いたくない」など、利用者の負担に関することばかりで、本質的な議論に至っていないように見えます。マイナ保険証を導入した真の目的について、コメンテーターのほとんどが「理解できない」などと発言していますが、調査を尽くした上で「理解できない」と言っているのでしょうか。みんなが「理解できない」と言っているから、同じように発言しているだけではないのでしょうか。
自分たちは学者などではないから、そこまで調べられない、と反論されるかもしれませんが、それならば、数十人や数百人という規模ではなく、数百万人以上という規模で視聴されるテレビにおいて、発言しないでほしいものです。よく分かっていないことを、断定的に、とても多くの人々が見聞きしている場所で発言することは、社会のためにならないと自覚するべきです。右寄りな言い方をすれば、国力の低下に繋がると思われます。
最初に挙げた記事で、現在のテレビなどは偏向報道されていると言われて、若い人から信頼されていないと書かれています。テレビ局は若い人たちのことを侮っているのではないでしょうか。あまりにも劣化が激しく、そして、内部からはその劣化を感じ取ることができていないのでしょう。
最近は、「辛坊治郎 ズーム そこまで言うか!」をポッドキャストで聞いています(Radikoだと広告が鬱陶しいのでポッドキャストの方を使っています)。半分くらいは、辛坊さんのくだらない(失礼(笑))日常の話なのですが、ニュース解説などは、深い知識に裏付けされた説得力のある話だと思います。ラジオの方が、おもしろいですね。