選択的夫婦別姓について議論が巻き起こっていますが、個人的には、いろいろな観点がひとつの議論に押し込まれていて、それらが噛み合っていないように感じています。これまた個人的な感想ですが、名前に精神的なものを求めることは間違っていると思いますので、人権問題を絡めて議論することは間違いだと思います。これが男女差別の表れだ、という議論には、どうしても納得できません。名前は個人の識別に用いる程度のもので、識別に問題がないのであれば、自分が例えば100番と呼ばれようが、阿部と呼ばれようが、気になりませんし、気にすべきではないと考えています。名は体を表すと言いますが、それは、名前から連想される事実が、名前に対応する現実に良く対応するものであり、名前を見れば現実が想像しやすいという程度のものであって、名前を付ければ現実が変わるというものではないと思います。そのため、夫婦同姓というシステムそのものが差別的であるとは思えません。差別があるとすれば、姓の選択を決定する場面なのですが、それは選択的夫婦別姓を導入すれば解決する問題ではありません。もっと根本にある問題、すなわち、男女間の対話が足りず、女性は男性を優先すべきだという社会通念(そんなものはもはや失われていると思いますが)が優先されてしまうという問題を解決しなければ、男女差別問題が解決されたとはいえないでしょう。そして、その問題が解決されれば、選択的夫婦別姓だろうが、夫婦同姓だろうが、差別という問題は生じないはずです。
経済団体や学者が訴えているのは、海外に行ったとき説明しなければならず、不便だという点です。
これは、パスポートなどに旧姓でも書き込めるよう、法律を変えればよいのではないでしょうか。条約などは調べておらず、国際法で問題があるのならば取りえない方法ですが。現代ではマイナンバーが国家から見た個人の氏名になるので、極端な話をすれば、個人がいくつ名前を持っていても問題はないはずです。これまでの、一人の個人に一つの名前が対応する、という社会の認識を変えなければなりません。一人の個人は一つのマイナンバーと、複数の名前を持つという認識に変える必要があります。
ただ、これは選択的夫婦別姓にもいえることなのですが、コンピューターシステムの更新コストがとんでもなく大きくなるという問題を抱えています。おそらく、選択的夫婦別姓に反対する人は、この点を重視しているのだと思います。テレビのコメンテーターなどは、夫婦別姓を導入しない理由が分からない、と言っていますが、システムを運用管理する側からすれば、なに簡単に言ってくれてるの、と呆れていることと思います。国で使うようなシステムは信頼性が求められるので、慎重に開発しなければならず、その費用はとてつもないものになります。その費用をどこから持ってくるんですか、という観点から、尻込みする人が多くなっているのではないでしょうか。石破総理は総裁選で選択的夫婦別姓を認めるべきという立場にあったと思いますが、総理大臣になった後は、何も言及していません(そんな話をする状況が無かったという事情もあると思いますが)。実際にやるとなったとき、その見積りを見て絶句したのではないかと思います。総裁選で自分の主張を展開する段階で、見積りとか取っていたのでしょうか?
また、国連から選択的夫婦別姓を導入するよう勧告を受けていることもあります。
しかし、国連から「やれ」と言われて導入する、というのは、本当に情けない話です。情けないというのは、やらなければならないことを外部圧力によって進めなければならないところ、それができなかったという意味ではなく、なぜ反論しないのか、という意味です。夫婦同姓か夫婦別姓かは、国の形に関わる問題と認識されています。個人的にはどっちでも良いと思っていますが、保守的な方々などは、そのように考えていないはずです。ならば、なぜ国連が日本の制度に口を挟んでくるんですか、と言いたくならないのでしょうか。
これは根拠がある話ではありませんが、夫婦同姓である国家が少ないということを理由に、夫婦別姓にするよう求めているのであれば、世界は日本の制度を理解できないので、日本が変えてください、と言っているのと同じです。そのため、なぜ日本が変えなければならないのか、なぜ世界が日本を理解しようとしないのか、と反論すべきではないでしょうか。もちろん、先述したとおり、夫婦が姓を選ぶとき、十分に話し合って、自由に選択できるという状況にあって、実質的な男女差別がないということが前提になります。どちらを使うかは気にしておらず、男性側の姓を使うと決まっていた方が決定に要するコストがかからなくて楽なんだよね、という人が多ければ、自然と男性側の姓を使うことが多くなるはずです。これは個人の感覚なのですが、姓にこだわっている人はそこまで多くないのではないかと思います。
ちょっと調べると、夫婦別姓を選んでいるフランスでは、子どもは父親の姓を使うのが普通だそうです。これは習慣的なものです。そこに問題があるということで、子が自分の姓を選択できるようにしよう、という運動が起こっているとの記事がありました。それは先述したように、一人の個人が複数の名前を持てるようにする、というシステムと同じようなものだと思われます。
同姓か、別姓か、というのは、あまり問題ではないように思います。通常は、どちらかに決まっていれば、それでよいのではないかと思います。そして、自分で後から選択できる、という方が良いでしょう。現在も家庭裁判所で戸籍上の氏名を変更できるようになっていますが、この変更要件を緩くして、詐欺など不正な目的が疑われるような場合でもなければ原則認める、というようにしてしまう、というのも一つの方法です。これまで、氏名は個人を特定する情報でしたが、現代ではマイナンバーという情報があります。もしかすると、DNA情報の登録など、生物学的観点から個人を特定する方法というものも作るべきかもしれません。
このように、ちょっと考えるだけでも、選択的夫婦別姓に関する問題の解決方法は山ほど出てきます。何となく、選択的夫婦別姓を導入しなければ問題は解決しないのだ、という議論になっているような気がするのですが、そんなことはなく、解決の方法は山ほどあります。政治家の方々には、もっと異なるアプローチを考えてもらい、主張をしてほしいと思います。そして国民は、そのような主張を頭から否定せず、よく検討すべきです。