報道番組などを見ていると、「政治が悪いから国民の生活が苦しいままなのだ」という議論を聞きます。昨今の自民党の裏金問題に端を発し、「金権政治をやめるべきだ」などという議論も聞きます。ネットニュースなども同じような風潮を感じますし、ニュースに寄せられる一般人・専門家のコメントにも同じような雰囲気を感じます。

しかし、個人的には、「本当にそうなのだろうか」という感覚があります。

日本における行政の役割は、小さいものではありませんが、そこまで大きなものでもないと思います。なぜなら、何をするにも法的な根拠が必要になりますし、民間企業に無条件に介入していけるような法的制度も無いからです。一方で、一般庶民の生活は、行政に頼らなければならないところもありますが、民間に頼るしかないところもあります。

普段の食料品の価格や日用品の価格は、市場経済に委ねられていますので、行政がどうにかしたいと考えたとしても、そう簡単に変えられるというものではありません。税金を調整するなどして可処分所得を増やす、など、行政にできることもあるのだという話もありますが、やはり問題を直接的に解決するものではありません。

そのため、行政だけが頑張っても庶民の生活全部が良くなることはないのではないかと思います。もちろん良い方向に動かすことはできますが、その効力に確実性はないので、制御不可能な理由によって機能しない可能性もあります。

そのため、何でもかんでも行政の責任にするというのは、間違っているだろうと思うわけです。

個人的な考えでは、民間の責任も相当に大きいと思います。市場原理は、利益の最大化を求めることにあるわけですが、数学的な問題と同じで、局所解に陥ってしまい、最適解に辿り着かない可能性があるわけです。民間企業は、自分たちのいるところが一時的な利益を追求するだけにとどまるのではないかという考えを持ち、日本全体を視野に入れた自己改革を続けていかなければなりません。ここで日本全体という言葉を入れたのは、市場原理の修正という話ではなく、日本全体すなわち一般庶民の問題解決をすることで、日本経済はより強く成長していくということを念頭に置いた話です。

そして、報道機関は、一般企業に対して積極的に攻撃を仕掛けて、自己改革を促さなければなりません。ところが、日本(に限らず資本主義の国家)では、報道機関に対して一般企業がスポンサーとして入っているため、そのような批判が全く起こらないのです。また、下手に攻撃を仕掛けた場合、名誉毀損などとして訴えられるという法的なリスクも背負ってしまいます。このような環境下では、民間の自己改革が起こることなど期待できません。

行政の責任だけではなく、報道機関の責任も大きく、また、報道を盲目的に信じて簡単に操られてしまう一般庶民の責任も大きいのではないかと思います。現在の生活の苦しさは、どこかひとつのところにあるわけではなく、それを感じている人たちすべてのところにあり、自己批判を通じて意識を変えていかなければ、決して解決することのできない問題なのではないかと思います。