令和6年6月19日水曜日の夜に放映された「奇跡体験!アンビリバボー」という番組で、煙石博さんの冤罪事件が取り上げられていました。事件の詳しい内容は、同番組やインターネット上の情報に譲るとして、番組で取り上げられなかった部分のうち、自分で調べて気になったところを書いておこうと思います。

この最高裁判決(最判平成29年3月10日集刑321号1頁)は、かなり興味深い判決です。

法解釈ではなく、事実認定について、最高裁判所がゴリゴリと書いています。かなり読み応えのある内容なので、一読をオススメします。法律家であれば、これくらいの論述ができるようになりたいな、と思います。が、弁護人の立場で、第一審、控訴審で全く同じ内容の弁論を書いたとしても、裁判所には軽くあしらわれるのではないかと感じています。それでも押し通せるのが最高裁。誰も文句を言えません。さすが。

誰も文句を言えません、と書きましたが、この判決には、多数意見より長い大作で、執念を感じるような反対意見が付されています。ただし、反対した裁判官は一人だけです。この反対意見も見物なので、一読をオススメします。

誰が書いたのかというと、小貫芳信氏。調べてみると、検察官出身とのことです。

だから、か! なるほど!

他の裁判官は、裁判長の鬼丸かおる氏が弁護士出身、山本庸幸氏が弁護士出身、菅野博之氏が裁判官出身でした。

なるほど! なるほど!

笑いが出てしまいます。日本の法曹のスタンスを如実に表した事件だと思います。

これに関して個人的な意見を言えば、最高裁多数意見の考え方が正しいと思います。やはり、刑事裁判は、疑わしきは罰せず、の原則を貫くべきであって、疑わしきは有罪、という考え方は間違っています。なぜならば、それくらい、検察をはじめとする捜査機関の力が強いからです。

ただ、刑事裁判の原則を貫くのであれば、捜査機関にはより強力な権限が認められて然るべきであるとも思います。弁護士会は、人権擁護だ何だと言って、強力な捜査手法を規制しようとしています。言ってみれば、過去の枯れた手法だけを使うように求めているわけです。枯れた手法であれば、利点も欠点も調べ尽くしているので、安心だという考え方でしょう。

しかし、それでは捜査機関に無理を強いることになって、むしろ冤罪を生み出してしまいます。限られた手法でしか捜査ができないので、自白という方法に寄りかかり、冤罪が生み出されるのです。それならば、従来よりも多くの情報を捜査機関に渡し、それを適切に取り扱うようにすればよいはずです。誰も疑義をはさめないような証拠があれば冤罪は生み出されず、そのような証拠が用意できなければ捜査機関も立件を諦めざるを得ないはずです。

法律家が本当に追求すべきことは、単に人権擁護を叫んで硬直的になることではなく、真の犯罪行為を捕捉するために、どのような捜査手法が必要であって、そこに内在する人権侵害のリスクは何なのかを考えることではないでしょうか。

検察官、弁護士、裁判官がそれぞれの考え方を縛り付ける鎖を取り払い、客観的事実に基づいた公正な裁判を実現するために何が必要なのか、ということを相互理解をもとに話し合っていく、ということが重要なのではないかと思います。