「いじめ防止対策推進法」(以下「いじめ防止法」と略します。)によれば、「いじめ」は、2条1項において、以下のように定義されます。
第二条 この法律において「いじめ」とは、児童等に対して、当該児童等が在籍する学校に在籍している等当該児童等と一定の人的関係にある他の児童等が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む。)であって、当該行為の対象となった児童等が心身の苦痛を感じているものをいう。
この定義によれば、児童が心身の苦痛を感じるものは、すべて「いじめ」となります。
場合によっては、「おはよう」と声をかけただけで「いじめ」になってしまうかもしれない、ということです。
このように、なんでもかんでも「いじめ」になってしまいかねない、この定義は、あまりに広範なのではないか、と批判されています。
自分としても、これは、いじめの定義として広すぎるのではないか、もう少し狭い定義にしてもよいのではないか、と思っていたのですが、いろいろと考えて、自分なりに消化することができてきたので、ここにその理解を記録しておこうと思います。
結論から言うと、いじめ防止法は、既存のイジメの範囲を変更するものではなく、これはこれ、と考えるべきものだということになります。
「いじめ」とイジメ
みなさんは、いじめ、と聞いたとき、どのような状況を想像するでしょうか。
ある児童や生徒が、別の数人の児童や生徒に、怒鳴られたり、叩かれたり、意地悪をされたりしている状況でしょうか。その程度は深刻で、思わず止めたくなってしまうようなものではないでしょうか。
一方、先述の法律が定義する「いじめ」は、児童が心身の苦痛を感じるだけで成立してしまします。たとえば、よそ見をして廊下を歩いていた児童が曲がり角で出会い頭に親友の児童と衝突したとします。このとき、相手児童がちょっとケンカをしていて気分が苛立っていたため「どこ見てるんだよ!」と大声で怒ったとして、怒られた児童が精神的に苦しいと感じれば、条文上、成立を否定する除外規定など置かれておらず、いじめに関する不文律の一般的な法的判断基準があるわけでもないので、これは「いじめ」になってしまいます。しかし、この結論は、みなさんがいじめと聞いたときに想像する状況と大きく異なっているのではないかと思います。
このような場合をとらえて、いじめ防止法の定義がおかしいのではないかと考えていたのですが、ひとつの理解として、法律の定義する「いじめ」と、一般人が想像するいじめを、同じものと考えることが誤っているのだ、という考えに辿り着きました。
以下、法律が定義するものを「いじめ」、一般人が想像するものを「イジメ」と書いて区別することにします。
「いじめ」が発見されたら
「いじめ」が見つかったときについて、法律は次のように定めています。なお、以下においては、「いじめ」が深刻な被害を生じさせているなどの重大なものではなく、犯罪に該当するようなものでもないことを前提とします。一般的に、「イジメ」にあたるのか判断が難しいような、比較的軽微な行為を想定しています。
(いじめに対する措置)
第二十三条
3 学校は、前項の規定による事実の確認によりいじめがあったことが確認された場合には、いじめをやめさせ、及びその再発を防止するため、当該学校の複数の教職員によって、心理、福祉等に関する専門的な知識を有する者の協力を得つつ、いじめを受けた児童等又はその保護者に対する支援及びいじめを行った児童等に対する指導又はその保護者に対する助言を継続的に行うものとする。
「いじめ」の存在が確認されたとき、学校は支援や助言を行うとされています。ほかに、必要に応じて校長や教員が児童に対して適切に懲戒権を行使することなども定められていますが、「いじめ」に特別な権利義務を定めているものは見当たりません。
そして、「いじめ」に対する罰則は定められていません。そのため、「いじめ」を学校が放置するようなことがあったとしても、いじめ防止法によって処罰されたり、行政罰が加えられたりすることはないわけです。もちろん、国家賠償法など、別の法律によって責任を負うことはありますし、地方公務員法に基づく懲戒を受けることはありますが。
児童の生命身体に重大な被害が生じた場合や、長期間欠席することになったような場合は、重大事態として扱われ、組織的な調査が必要になります(いじめ防止法28条1項)。教育委員会を通じて地方公共団体の長に報告しなければならない(同法30条1項)など、その学校以外も巻き込んだ対応が求められます。
いじめ防止法の対象は?
いじめ防止法が定める「いじめ」は、捕捉する範囲が広すぎるのではないか? という疑問を考える前に、いじめ防止法が定める「いじめ」への対応を確認しました。
その規程を見ると、いじめ防止法は「いじめ」に対して何らかの罰則や強行的手段を定めているものではない、ということが分かります。定めているのは、被害を受けた児童や、加害した児童に支援や助言をすることです。
これをよく考えると、いじめ防止法が定めていることは、従来の「イジメ」に対する対応と何も変わっていないことが分かります。「イジメ」を見つけたとき、学校は、教員は、それを放っておいたでしょうか。通常の教員であれば、児童から事情を聴き取り、説教するなどして問題を解決していたはずです。それは、児童に対して支援や助言をすることであり、まさにいじめ防止法が定めていることです。
そのため、いじめ防止法が定める「いじめ」とは、児童や生徒が学校生活において他の児童や生徒から精神的苦痛を与えられたとき、その状態を「いじめ」と名付けることにして、教員に適切な対応を求めたもの、と考えることができます。
ここで大切なことは、従来の認識である「イジメ」と、いじめ防止法の定める「いじめ」は、対象とする事象が異なっているのだろうということです。いじめ防止法でも、重大事態にあたる場合には、先に紹介したとおり、学校や周辺組織を巻き込んだ対応が行われることになっており、これは従来の認識である「イジメ」に対する対応と同じものだと認められます。
すなわち、いじめ防止法が定める「いじめ」は、一般常識における「イジメ」よりも広い事象を対象としており、定義の範囲が広すぎるのではないか、という認識は当然だということになります。いじめ防止法2条が定める「いじめ」を「イジメ」と同じものだと考えてしまってはならないのです。
まったく別の呼称を付けるべきだという気もするのですが、適切な言葉が浮かばなかったのかもしれません。
なお、ここに書いたことは私が自分で考えたことを書いているだけですので、一般的な見解である保証はありません。学説を調べているわけでもないので、世間一般の認識は違うのかもしれません。ただ、このように理解すると、いじめ防止法の存在を受け入れやすくなるのではないかな、と感じたので、ここで論じておくことにしたものです。