松浦壮「時間とはなんだろう」(講談社ブルーバックス)

興味深いタイトルだったので、図書館で借りてみました。ニュートン力学、アインシュタインの相対性理論、マクスウェルの理論、量子力学と話が進んでいき、時間の正体に迫っていくという内容です。

最初は簡単な内容なのですが、途中から急激に難しくなっていき、最後の方は理解が追い付かなくなっていきます。何がこんなに理解を難しくさせるのだろうかと考えてみると、日常の体験からかけ離れた話になっていくためイメージができないということが理由なのではないかと感じました。

特殊相対性理論では、速度を持って運動する物体は時間の流れが遅くなるという結論が導かれます。時間が遅くなるというのはどういうこと? 超高速で動くと活動が止まってしまうの? と、あまりに日常からかけ離れた話なので理解が困難です。

あれこれと考えてみたところ、時間というものは人によって異なるのだという理解に落ち着きました。書籍にも「絶対時間から相対時間へ」という項目があり、きちんと説明してくれていたのですが・・・。

物理現象は相対的なもので、絶対的なものがあるわけではなく、それぞれの人が自分の感覚で観測するものだという理解が出発点になります。ただ、ある人の1秒と、他の人の1秒で、長さが異なるという意味ではありません。

たとえば、ある場所に立っている人の前を、超高速の等速度で通り過ぎる乗り物があったとします。地球上で走らせると空気抵抗やら衝撃波やらを考えなければならないので、真空の宇宙空間であるとしましょう。この設定が非日常的すぎると言われると困ってしまうのですが。

立っている人が、通り過ぎていく乗り物をじっと見ながら、時計で時間を計ったとします。乗り物の中にも時計があり、乗り物における時間が分かるとします。また、これらの時計は完全に同期されており、ズレはないものとします。

このとき、立っている人の時計で1秒が経過すると、乗り物の中の時計は何秒経過することになるでしょうか。言い換えると、立っている人が乗り物の時計を見て、その後、立っている人の時計が1秒を経過したとき、立っている人が見る乗り物の時計が示す時間はいつになるでしょうか。

先ほどの、特殊相対性理論では、速度を持って運動する物体は時間の流れが遅くなるという結論を使うと、1秒経過していない、ということになります。しかし、そのようなことは起こらないでしょう。なぜならば、時計は何らかの周期的な物理現象を使って計測しており、外部から力が加わらない限り、物理運動に変化は生じないはずだからです。乗り物は等速度で動いているので、乗り物の中の時計が計る1秒の長さは変わらないはずです。

そのため、立っている人が自分の時計で1秒を経過したときに乗り物を見ると、やはり、乗り物の中の時計も1秒経過した状態になっているはずです。

これは、特殊相対性理論が間違っているというわけではなく、乗り物の中の1秒は、立っている人から見た1秒とは違うということなのだと理解しました。しかし、乗り物の中を考えると、時間の流れが遅くなっているというわけではなく、立っている人と同じように時間が経過しています。

うまく理解ができないのは、無意識のうちに、立っている人の時計(もしくは乗り物の時計)を基準に考えてしまうからです。また、時間が違うというのは、物理法則を適用しようとしたときに計算が合わなくなってしまう、という程度の意味しかなく、タイムスリップをしているわけではありません。

映画のバック・トゥ・ザ・フューチャーやDCコミックスのザ・フラッシュなど、超高速で動けばタイムスリップができるという理解が広まっているように思いますが、そのようなことは起こり得ないというわけです。

書籍を読み進めていき、ミンコフスキー空間というものが出てきたあたりで、まったく理解が追い付かなくなりました。常識感覚を改めて想像しなければならないので、かなり難しいです。もっと読み進めて、新たな発見があれば、また書きたいと思います。しかし、その前に書籍の返却期限が来てしまうだろうな・・・。