東京五輪を巡る贈収賄事件で逮捕勾留されたKADOKAWAの元会長である角川歴彦さんが、先月の6月27日、身柄拘束されたことについて国家賠償訴訟を提起したそうです。訴状に何が書いてあるか分からないので詳しい内容は分からないのですが、逃亡のおそれがないのに勾留請求をした検察庁と、逃亡のおそれを認めなかった裁判所に憲法違反がある、という内容になっているようです。

名だたる弁護士で弁護団を構成して、その弁護団は、国連にも人質司法を訴えていくんだ、と息巻いているようです。

しかし、この問題というのは、裁判所で解決するような話ではないのではないか、と感じます。

法律で定められた勾留という制度の運用が誤っている、という方向での主張になるのでしょうが、その問題提起は準抗告でなされるものであるはずです。憲法違反を訴えるということは、勾留許可という判断の是非を問うことになるので、はたして国家賠償で扱うべき話なのか、という疑問が生じます。この辺りの各手続との関係性をどのように考えているのかは、詳しく訴状を読んでみないと分かりません。いつか判決が出たときに、分かってくるかと思います。

何となく、いわゆる人質司法の是非について判断する以前に、国家賠償の要件を満たしていないとして門前払い的な判決をくらってしまうのではないかと予想しています。刑事訴訟法の運用方法に問題があるかどうかは裁判所が考えることで、そこに対して文句を付けるのは御法度、裁判官の判断を信用していないのか! となるのではないかと思っています。

この問題を解決する方法は、国民の意識を変えて、立法から攻めていくしかないと思います。

そもそも、人質司法がまかり通っているのは、それを国民全体が許容しているからです。日本は、犯罪者に対して極めて厳しい国です。法律がどうという以前に、異常なまでの潔癖性があり、社会のルールから外れた人間を徹底的に攻撃する特性があると感じています。そのような国民的意識が人質司法を作り上げていると思うのです。つまり、犯罪に関わった人は、どのような仕打ちを受けても構わない、どれほど苦しんでも自業自得だ、という考えです。建前上、被疑者の段階では罪を犯したとは認められていないので、本来は身柄拘束されることが例外にあたるはずなのですが、日本人は、そんなことなど知ったことではなく、疑いをかけられている時点で悪なのだ、と決めつけてしまっているように思います。

ここを変えなければ、人質司法が変わることなどありません。裁判所が判断を変えてしまったら、国民からとんでもない勢いで批判を受けることになります。裁判所は、全国民が「なるほど!」と納得できる判断をしなければならないので、そのように批判されるような判決を出すことは考えられないのです。

そう考えてくると、日本が今の日本である限り、人質司法を変えることはできない、ということになります。全国民の意識が変わることで解決される問題になります。弁護団は国連に訴えるんだと言っているようですが、それは、日本は外圧でしか変わることができないと認めているようなもので、個人的には、情けない限りだと思います。国連も、そこまで言わせるなよ、と思うのではないでしょうか。国内で議論をしても、誰も耳を傾けない、一般の方々は問題意識を持っていない、だから国連に訴える、と考えているのかもしれませんが、それは根本的な解決にならず、どこかで歪みが生まれてしまうだけなのではないかと思います。

人質司法が絶対的に悪いのかといえば、それによって治安が維持されている側面もあると思いますので、そう簡単に結論を出すことができるものだとは思いません。根幹から制度を変えるのではなく、企業に不利益な取扱いを禁止するなどの制約を設けるなどして被疑者の経済的権利を守るなど、対処療法的な方法を取った方が良いのかもしれません。

いろいろ書いてきましたが、自分がこのように批判的な姿勢になるのは、弁護士会の姿勢などに共感していないからでしょう。

死刑制度や人質司法など、弁護士会は「こうあるべきだ」という結論を決めています。「それが本当に目指すべきものなのか?」について議論せず、「それは目指すべきものなのだ」と決めつけて、反対意見を封殺しているように見えるのです。本来は、反対意見にも耳を傾けて、それを排除せず肯定したうえで、目指すべき地点を考えるべきです。しかし、弁護士会など、人権について議論をする方々には、反対意見に対する肯定の姿勢が全く見られないのです。そのような姿勢をとる方々には、どうにも共感ができません。

話があちこちに飛んでしまって、結局何が言いたいのか分からなくなってきてしまいました。話を元に戻せば、勾留に関する判断の適否は、そもそも、国家賠償として判断できるものなのか? 適正手続を踏んでいないことについて、刑事手続の中ではなく、民事手続の中で判断できるものなのか? という疑問が大きく、立ち位置が危うい訴訟だな、という印象を持ちました。判決が出たとき、その内容がとても気になります。