記事の内容

ニュースサイトの記事を読んでいたら、交通事故では被害者に優しくない取扱いがされている、という趣旨の記事を見つけました。

しかし、このマニュアルでは、被害者の側の一つひとつの過失が細かく加算される仕組みになっているので、最終的に導き出される過失相殺率は、通常人の常識的な感覚からは離れたものとなりやすいのです。

「やられ損?」交通事故の賠償額は、被害者の過失が厳しく考慮されて驚くほど少なくなる(東洋経済オンライン) – Yahoo!ニュース

つまり、日本を含め多くの国々では、交通事故損害賠償に関する社会の判断のはかり、基準は、被害者に厳しく、加害者、保険会社とその利用者には甘く設定されており、また、そのような問題の存在や基準の妥当性自体について意識している人々もきわめて少ない、ということです。

「やられ損?」交通事故の賠償額は、被害者の過失が厳しく考慮されて驚くほど少なくなる(東洋経済オンライン) – Yahoo!ニュース

詳しくは記事全文を読んでいただきたいのですが、個人的に気になったのは、これらの部分です。

個人的には、被害者に厳しくしたいわけではないのだろうと思っていますので、思うところを書くことにしました。

目指すところは?

リンク先の記事は、自動車が歩行者に怪我を負わせた場合、その賠償は手厚くすべきだ、ということを前提にして書かれているのだと感じました。

確かに、そのような考え方は正しいと思います。(上から目線の発言かもしれませんが)怪我をして苦しんでいる人は助けてあげたいと思いますし、事故で重い障害を負ったり、近親者を亡くしてしまった方に対しては残念に思います。そのため、助けられる立場であれば、経済的にも助けてあげたいという気持ちになります。

しかし、それは福祉が目的とすべき話であって、損害賠償が目的とすべきものではありません。

民法が定める損害賠償の目指すところは、交通事故によって発生した損害を当事者間で公平に分担することです。このときに基準となるのは、道路交通法など、国が定めた交通法規です。

道路は公共のものなので、すべての利用者が好き勝手に使っていては、事故が多発して危険な状態に陥ってしまいます。そのため、これを守れば事故が起こらないですよ、という交通法規を定める必要があるのです。

偶然的な事故など例外的な場合を除き、道路を通行するすべての利用者が交通ルールを守っていれば、事故が起こることはありません。歩行者、自転車、自動車など、誰かが、自分の守るべき交通ルールを守らないため、交通事故が起きるのです。

過失相殺が目指すところは、事故が起こった責任を適正に割り振ることです。法曹実務で使われている交通事故の過失相殺基準は、交通法規に従って各利用者が守るべき交通ルールを考え、過去の膨大な裁判例における判断を踏まえて、判断要素を示したものです。そこに、被害者に冷たくしようだとか、保険会社を優遇しようだとか、そのような意図など入る余地はありません。(ないはずです。)

加害者は被害者でもある

自動車と歩行者の交通事故では、歩行者が被害者であると考えがちですが、そうとは限りません。

たとえば、高速道路は自動車以外進入禁止なので(高速自動車国道法17条1項)、仮に高速道路に歩いて入っていって事故に遭ったとしても、その歩行者に大きな責任があるということになり、被害者と呼ぶことが妥当なのか疑問になります。

(出入の制限等)
第十七条 何人もみだりに高速自動車国道に立ち入り、又は高速自動車国道を自動車による以外の方法により通行してはならない。

高速自動車国道法 | e-Gov法令検索

弁護士が交通事故事件を扱うとき、被害者と加害者という区別をすることは少ないと思います。私は、被害者と加害者という区別はせず、依頼者と相手方という区別をしています。これは、被害者や加害者という言葉は、主観を含んだ言葉だと思っているからです。

交通ルールを守って自動車を運転していたのに、歩行者が自分勝手な動き方をして、たとえば自動車が直前まで迫っているのに急に飛び出してきて、それで人身事故が起こった場合、自動車を運転していた人は加害者であると言い切れるでしょうか。自分勝手な考えによって交通事故当事者になってしまい、警察の取調べを受けて長時間拘束されたり、保険金の支払によって保険料が上がってしまうなどの影響を受けることになるので、被害者という側面もあるとはいえないでしょうか。

何が言いたかったのか

いまの過失相殺は歩行者にやさしくないとは言い切れないので、変更する必要はない、と言いたいわけではありません。

おそらく、記事を書いた方が言いたかったのは、道路交通法は、現実の歩行者の動きや一般庶民的な考え方を反映したものになっておらず、そのため、被害者に過酷な結論になっている場合がある、ということでしょう。

個人的には、それは仕方ないことなのです、という感想なのですが、一般庶民に受け入れられやすいように道路交通法を変えていくべきである、という意味なのであれば、それもその通りだろうと思います。ただ、あまり法律に甘いことは書けないので、どのような定めにするのか、という部分は、よく考える必要があると思いますが。