このところ、ワイドショーに出てくるコメンテーターのレベルの低さが目につきます。大衆迎合的なことばかりしか言わず、様々な意見を比較して考えるという作業を怠っているように見えます。人によっては、考えてもいないように見えます。

TBSの「サンデーモーニング」は偏った思想を持った番組だと分かっているので大して気にならないのですが、テレビ朝日の「モーニングショー」が気になるようになってきました。羽鳥慎一アナの淡々としつつもユーモアを含んだ進行を気に入っているのですが、レギュラーコメンテーターの玉川徹さんが不快になってきました。以前は、比較的中立的な立場から公平な意見を言っているように感じていたのですが、最近は、自分の考えばかりに固執していて、世の中にある様々な意見に耳を傾けていないように感じています。

一度、事実と異なる発言をしてしまい、レギュラーコメンテーターから外れていたのですが、いつの間にか復帰しており、そこから言動が変わってきたように感じられます。

今日は政治ジャーナリストの田﨑史郎さんがゲストに出ており、自民党総裁選の話題で盛り上がっていました。その中で選択的夫婦別姓の話になり、玉川さんや、水曜日のコメンテーター安部敏樹さんは、「なぜ選択的夫婦別姓にしないのか理解できない」というような発言を繰り返し、自民党内の保守派が反対していると説明する田﨑さんに食ってかかるという場面がありました。(日刊スポーツに記事が出ているようです)

田﨑さんは、選択的夫婦別姓は思想的な問題なので、リーダー(総理)の鶴の声で決めるようなものではないのだろう、と説明したのに対し、玉川さんや安部さんは、総理にリーダーシップが無いからなのか、そこで押し切るのが政治なのではないか、選択的夫婦別姓も他の問題と同じ政策ではないのか、などと詰め寄っていました。

田﨑さんの言っていることは正しく、個人の在り方や、家族の在り方といった、人権に重大な影響を与えかねない問題について、総理が一言で決めるようなことがあってはなりません。それは、専制主義と同じで、ロシアや北朝鮮と同じ政治体制になるということを意味します(厳密に言えば違うのだと思いますが、ここではそのような話をしたいワケではありませんので、一般人が抱くイメージでの理解という話でお願いします)。現代の民主主義は、一定の理解が得られるまで議論を尽くすことが想定されており、すべての問題をいきなり多数決で決めてしまうことは想定されていません。だからこそ表現の自由が必要なのであり、政府による検閲は禁止されるべきなのです。

私が選択的夫婦別姓に抱く不安は、戸籍管理システムの改修にとてつもない費用と時間がかかる(だろう)ことと、問題の本質的な解決になっているのか疑問であることです。深い議論を始めると長くなりますし、私も議論に耐えうるだけの準備をしているわけではないので、直感的なことしか言えないのですが、ビジネスで必要になっているという目先の理由だけで変更してよいものではないように思えます。

外国と付き合いをしていると、婚姻で名前が変わってしまうのが不思議に思われて、信用されない、などの話を聞きます。しかし、そのように「うちの国ではこうやっているのに、そっちの国ではこうなのか?」という物事はたくさんあります。グローバル化をしていくにあたっては、それぞれの国の違いを尊重しましょう、という建前になっていたはずです。しかし、諸外国との付き合いを円滑に進めるために選択的夫婦別姓を導入するというのは、その建前に反しているのではないでしょうか。

外国に合わせるため選択的夫婦別姓を導入する、というのは、目先のビジネスに対応するため、日本の形を無くしていきます、というのと同じです。私個人の考えとしては、日本が長い間続けてきた仕組み(婚姻すると姓を合わせるというのはいつから導入されたのでしょうね?)を、そんなにあっさりと捨ててしまっていいのか、と思います。

もっと他の方法はないのか? そもそも、日本の存在感が低下しているから、外国から理解されないだけではないのか? など、様々な疑問があります。そのような考えからは、安易に選択的夫婦別姓を導入するべきではないのではないか、という気がします。

諸外国との付き合いは別にしても、選択的夫婦別姓を導入すべきだ、という意見もあるでしょう。選択的なので使っても使わなくてもいいのだから、なぜ導入に反対するのか、という話がありました。これは制度設計の好き嫌いだと思いますが、夫婦別姓にするのか、しないのかは、どちらかに統一した方が良いと思います。これは個人の好きにできるものではない(個人が命名ルールを好きに決めてしまった場合は混乱が生じる)ので、まさに国家が国民の意見を集約して決定すべきものです。

論旨が変わってきてしまいましたので、ここで戻します。

つまりは、ワイドショーというものは、「そうだそうだ」と見るのではなく、「ふーん」という程度に見て、自分の意見というものをしっかりと考えた方がよろしいのだと思います(今のところは)。コメンテーターの方々には、現在のレベルでは、そのようにしか見られないのだということを自覚していただき、それで良いのならば今のままで構いませんが、良くないと考えるのであれば、より広範な意見に目配せをして発言し、自分の意見を小さくするように振る舞っていただきたいと思います。