記事の中に、
東京都世田谷区のホームページでは、23年度の減収額が99億円という。そして、「流出した区民税は、本来世田谷区民の皆さんのために使われるはずだったお金です」としている。
という一文があります。世田谷区のホームページで該当箇所を探すと、「区へのふるさと納税のご案内」というページに書かれていました。
個人的には、これには強烈な違和感があります。世田谷区は、区民税について「ふるさと納税によって流出することが認められない」ことを前提にしているように読めます。そのため、本来は区民のために使われるはずだった、という書きぶりになっているように思います。もし、流出すること自体は仕方がないと認めているのであれば、「流出したため世田谷区民のために使うことができなくなってしまいました」などと、事実を前提に結果を述べるような書き方になるはずです。
ふるさと納税の是非はともかく、現在においては法律で定められているのですから、ふるさと納税によって税収が減少すること(流出すること)自体に文句を言うことはできません。
法律を遵守しなければならないという公務員の義務に反するのでは、と思ったのですが、調べてみたところ、東京都の特別区の区長は公務員として扱われないそうなので、法律の存在を否定するような言動をとることに法的な問題はないということになります。とはいえ、明らかに憲法違反であるような事情もないのに、成立した法律を蔑ろにするような態度というのは、公人としていかがなものかと思います(ホームページ上の文章は世田谷区の意見、すなわち区長の意見であると捉えています)。
記事に話を戻すと、最終的には
松本総務相は、「返礼品目当てでなく、寄付の使い方や使い道や目的に着目して行われることが制度の意義」だと述べた。誠にその通りだが、そうであれば返礼品は一切禁止すべきだ。
という意見で締めており、寄付という原則に従うべきだ、という考えに立っています。
個人的には、こんな人がいるから日本の経済は停滞するのだ、と感じてしまいます。
ふるさと納税により何が起きたのかといえば、自治体間での血で血を洗う競争です。いかにしてふるさと納税を増やすか、と知恵を絞り、あの手この手でふるさと納税を促してきました。返礼品の競争が進み、中にはAmazonギフト券を返礼品とするようなところも出てきました。
さすがにそれは、というものもありますが、多くの試みは、これまで陽が当たってこなかった産業を照らすもので、経済を刺激することに繋がっているはずです。
文句を言うところは、税金というものは、待っていれば自動的に振ってくるものだと考えているのではないでしょうか。実際、これまではそのようなものだったのですが、ふるさと納税という仕組みによって、その考え方は変えなければならなくなりました。これまでは国が補助金の分配をコントロールしていたのですが、これからは国民にコントロールを委ねるべきだという考えに基づくものなのだろうと思います。立法者がそこまで考えていたかは知りませんが・・・。
それによって競争が始まり、減収に陥った自治体はサービスが提供できなくなる、と怖がっているようですが、それならば提供するサービスの内容を変えればいいだけです。それによって不便が生じるのであれば、区民は「これは困った」ということで、ふるさと納税をやめることになるでしょう。不便が生じて区民が文句を言うのであれば、限られた予算の中で区民を満足させられるような方法を考えればいいだけの話です。また、それは、本当に必要なものと、実は不要なものを選び出す作業につながります。
結局、文句を言っている自治体は、考えることを嫌がっているだけです。従来のやり方を維持したいだけであって、穿った見方をすれば、既得権益を守りたいだけのように見えます。これをチャンスととらえて、ふるさと納税を呼び込むような努力をしたり、行政のスリム化を目指したり、できることは数限りなくあるはずです。
それは大変なことで、勇気の要ることだと思いますが、もし踏み出すのであれば、全面的に応援をしたいと思います。