女性の雇用制限が少子化対策になる?炎上ツイートから見る「弱者男性論」(DIAMOND online)
少子化対策と,それに関連した男女差別的発言の問題を,しばしば耳にします。
どうやら,リンク先のネットコラムで取り上げられているツイートでも,少子化対策をするには,女性の教育や雇用を制限するほかない,という話題が出ているようです。ツイートなので短い文章であり,その真意というものは分かりませんが,昭和の頃のような生活スタイルに戻さなければならないということのように思われます。
このような話題を耳にすると,なぜ少子化対策に男女問題を関連させようとするのか不可思議に思います。
家事をするのは,男性だろうが女性だろうが,誰でも良いはずです。そもそも,仕事をするのも,男性でも女性でも構わないわけで,より稼ぐことのできる人が働けば良いわけです。誰が家事をすべきかは,家庭によって異なるものであり,女性がしなければならない,と決められるものではありません。家事なんかできないという男性もいるようですが,それは単に経験がなく,やる気もないだけです。家事というものは特別な技能でもなんでもなく,経験を積めば,程度の差はあれ,誰でもできるものです。
そのため,女性がこうあるべきだ,という類の主張については,どうにも理論的ではないなあ,と思ってしまいます。表現の自由があるので,言うな,とまでは思いませんが。しかし,このような話は女性の好みを語るのと同レベルのものですので,過剰に反応する方々を見ると,ちょっと騒ぎすぎなのではないかな,とも思います。
先ほど,家事は誰でもできる,と書きましたが,誰でもできるものであるため,人によってやり方やレベルが異なります。家事が嫌だと思う男性及び女性について,嫌だと思う原因は,家事の過程や結果について,一方的に叱責をする人がいるからではないでしょうか。
家事をこなしたところ,あれが足りない,ここがおかしい,などと文句を言われるばかりで,感謝の言葉もかけないということはないでしょうか。家事は誰もでき,やり方も,目指すところも,人によって微妙に異なるのが通常です。そのため,やり方を合わせてほしいとお願いされることはあっても,叱責されるのは間違っているのではないでしょうか。
個人的には,男女関係なく,一緒に暮らす人たちが,どちらかが一方的優位に立つのではなく,お互いの存在や考え方を尊重して,互いに感謝し合い,高め合いながら暮らしていくことが,何よりも良いことなのではないか(少子化に限らず全てのことにおいて)と思います。
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