ここ10年ほどで,ネットゲーム(オンラインゲーム)を取り巻く環境は激変しました。
 以前,ゲーム機はインターネットから切り離されていました。しかし現在,インターネットに接続できないゲーム機は存在しません。それに伴って,オンラインに対応したゲームも激増しました。
 これにより,ユーザーは遠く離れた他のユーザーとコミュニケーションを取りながら遊ぶことができるようになり,これまでにない,まったく新しい体験をすることができるようになりました。その形もさまざまで,チャット(文字や音声での会話)ができるものから,お助け的な存在として登場するものなど,様々なアイディアが入り乱れています。
 一方で,トラブルも増えています。
 人と人が出会えば,いろいろな問題が生じます。現実社会と同じような問題が,オンラインでも生じています。
 出会い系のように使用して,小さい子供たちが危険にさらされることもあります。詐欺に遭って,ゲーム内の通貨やアイテムを盗まれてしまうこともあれば,現実の金銭を失うこともあります。名誉棄損や侮辱などが起こることもあります。
 一般的には,これらの問題が「ネットゲームの問題」として取り上げられることが多いと思います。
 しかしそれでは,ほかの記事と変わらず,ここであえて取り上げる必要はありません。
 ここでは,ちょっと違った視点から,ネットゲームの問題を指摘してみることにします。

 わたしが問題に感じているのは,運営会社に対する規制が存在しないということです。
 とくに気になっているのが,言論の自由に対する不当な規制が行われているのではないか,ということです。
 近頃のネットゲームでは,運営会社が掲示板を開設して,ユーザー間のコミュニケーションを助けていることが多くあります。それらの掲示板は,ユーザーが日記のように使うこともあれば,ゲームに対する感想や要望を書き込むことがあります。そして,これらの掲示板は運営会社によって検閲されているのが通常であり,勝手に削除されてしまうこともあります。
 もし,国家が政治に対する意見などを書き込むことができる掲示板を開設し,そこに書き込まれる内容を選別していれば,憲法が禁止する検閲に当たるとか,国民の言論の自由を制限するものであるとして,問題視されることは間違いないでしょう。しかし,ネットゲームの運営会社は国家と違います。ユーザーは,運営会社との契約により掲示板を利用しているのであり,その契約に運営会社の権限が書き込まれていれば,それに従うことになります。そのため,書き込みの制限などを行っても,問題視されないのが原則です。
 しかし,それで良いのでしょうか?
 掲示板への書き込みは,個人の表現行為です。表現は,他人の目に触れてこそ意味があります。それにより,表現者の考えが他人に伝わり,精神的な活動として意味のあるものになるのです。検閲は,表現が他人に伝わることを完全に制限するものであり,個人の表現行為を最も強く制限するものとされています。

 ここでは問題提起をするだけにしておき,詳しい考察はまたの機会にします。おそらく,とても長いものになってしまいますし,しっかりと調査をしながら書く必要もあります。