神奈川県海老名市議会の市議がTwitterで同性愛者に対する差別的発言を行ったとして,批判が相次いだという事件がありました(「同性愛は異常」 海老名市議がTwitterで差別発言(Yahoo!ニュース/ITmediaニュース))
 この件について,NHKは「神奈川県海老名市の市議会議員がインターネットのツイッターに「同性愛は異常だ」などと同性愛の人たちを差別する書き込みをしていたことが分かりました。」(NHKニュース記事)と報じています。

 ここで気になったのは,「差別する書き込み」と報じていることです。(とくにNHK)
 今回,同性愛は異常だ,という発言が問題視されているのは,「差別する書き込み」だからではありません。
 たとえば,この市議が「暴力団は異常だ」と発言したとき,これも人の属性によって異常性を判断するものであって,差別する発言となります。しかし,これを「差別する書き込みだ」として報道することはないでしょう。
 この結論の違いは,どこから来るのでしょうか。
 それは,その発言が社会に受け入れられるかどうか,という評価です。
 同性愛を異常視する発言は,いまの社会が受け入れられるものではありません。もし,この発言が戦前になされていたらどうでしょうか? 結論は変わってくるかもしれません。
 一方,暴力団を異常視する発言は,いまの社会が推進しているものでもあり,拒絶されるようなものではありません。
 つまり,差別的発言をすること自体に問題はなく,発言を受け取る社会が認容できるかどうか,というところが問題になっているのです。
 そのため,「現代社会においては到底受け入れられない発言がなされた」と報じるのが正しいのでしょう。

 そして,重要な点は,ここにあります。
 社会において受け入れられるかどうかを判断しているのは,テレビ局です。
 テレビ局が,この市議の発言に対して「差別的発言をした」と報道をすれば,これを耳にした人は,このような立場の人が,このような発言をすることは問題なんだ,という認識をするようになるのが通常でしょう。
(報道の真偽について深く考えず,すべて正しいと信じる人が多いこと,この発言が差別的かどうか深く考えたことがなく,自分の意見を持たない人が多いこと,を前提にしています。それが正しいのかどうかは分かりません。)
 ということは,社会がどのような事柄に対して,どのように感じるのかという社会的な動きというものを,テレビ局は一定程度恣意的に作り出すことができる,ということです。

 市議の発言が問題であるかは,テレビ局が決めることではありません。
 この発言を聞いた私たちが,自分自身の信念や感性に従って決めることです。